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ボロボロの状態から復活 京急ミュージアムに展示される「デハ236」の歴史とは

2020年1月25日(土) 鉄道コムスタッフ

京浜急行電鉄が1月21日に開業した「京急ミュージアム」。その中には実物車両として、デハ230形デハ236号が展示されています。このデハ230形の引退は1978年。約40年前に京急の本線上から去ったこの車両は、どのような活躍をしていたのでしょうか。

「京急ミュージアム」に展示されるデハ230形デハ236号
「京急ミュージアム」に展示されるデハ230形デハ236号

現在の京急の母体となったのは、1898年に創業した大師電気鉄道(翌年に京浜電気鉄道に改称)です。同社は翌1899年の六郷橋~大師間開業から始まり、路線を次々と延伸。1930年までに、品川と横浜を結ぶ路線を整備しました。

一方、横浜以南の路線を開業させたのは、京浜電気鉄道と資本関係にあった、湘南電気鉄道です。同社は、1930年に黄金町~浦賀間、金沢八景~湘南逗子(現在の新逗子)間を開業。翌年には黄金町~日ノ出町間を延伸し、同時に横浜~日ノ出町間を延伸した京浜電気鉄道線と接続。1933年には品川~浦賀方面の直通運転が始まり、都心と三浦半島を結ぶ、現在の京急線路線網の原型が出来上がりました。

京急ミュージアムに展示されているデハ230形デハ236号は、この湘南電気鉄道の開業時に、同社のデ1形デ6号として導入された車両です。デ1形は、京浜電気鉄道線への直通運転を念頭に置いた形式として、1929年より25両を製造。翌年の湘南電気鉄道開業時に、営業運転を開始しました。

湘南電気鉄道デ1形(後の京急デハ230形)。登場時の姿に復元された1両が、京急久里浜工場に保存されています
湘南電気鉄道デ1形(後の京急デハ230形)。登場時の姿に復元された1両が、京急久里浜工場に保存されています

また、直通先となる京浜電気鉄道も、1933年の全線直通開始に先立ち、デ1形を基にしたデ71形を製造しました。さらに後年、湘南電気鉄道はデ26形、京浜電気鉄道は同じくデ83形、デ101形と、デ1形ベースの車両を増備車両として投入。戦前における京急系路線の主力を担う形式となりました。

デ1形は、全長が約16メートルと、18メートル級が主流の現在の京急車よりは小ぶりですが、それまで路面電車規格の車両で運行していた京浜電気鉄道にとっては、初の「鉄道」規格の大きな車両でした。現在の京急はデ1形について「当時の最高の技術を取り入れ日本の名車として広く知られ、現在の高速化のスタイルを確立した電車の草分け的存在」としています。

路面電車スタイルの京浜電気鉄道51号形。こちらも久里浜工場に1両が保存されています
路面電車スタイルの京浜電気鉄道51号形。こちらも久里浜工場に1両が保存されています

このデ1形の製造に関わった人物の中に、日野原保氏がいます。世界恐慌の中で大学を卒業し、就職先を見つけることができなかった日野原氏は、無給の実習生として、湘南電気鉄道金沢工場にてデ1形の装備品取り付け工事に加わっていました。1931年に京浜電気鉄道に入社した日野原氏は、後に専務を経て京浜急行電鉄副社長に就任。高速運転ダイヤの構築や、片開き4扉車である700形の開発など、現在の京急を形作る施策を次々と打ち出した人物でした。

1978年にデビューした800形。日野原氏が推し進めた700形の「片開き4扉車」というコンセプトを受け継いだ車両でした
1978年にデビューした800形。日野原氏が推し進めた700形の「片開き4扉車」というコンセプトを受け継いだ車両でした

1941年、湘南電気鉄道はバス事業者の湘南半島自動車と共に、京浜電気鉄道と合併します。しかし翌1942年には、小田急電鉄と共に東京横浜電鉄へと吸収合併。1944年に統合された京王電気軌道とあわせ、中央線以南の西東京における鉄道網を一手に担う東京急行電鉄、通称「大東急」が誕生します。東急への統合時に各社の車両形式が整理され、デ1形・デ26形・デ71形・デ83形の4形式は、デハ5230形に改番・統合されました。

戦後、大東急に統合された各社で独立の機運が高まり、1948年に京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄が独立しました。この際、形式名を5000番台にまとめられていた京急は車番を変更。デハ5230形はデハ230形、元デ101形やデハ5230形の戦災復旧車からなるグループはクハ350形(後に改造を経て最終的にはサハ230形)となり、デハ230形グループを形成しました。

デハ230形は、1960年代に更新工事を受けたものの、後に登場した車両よりも小さな16メートル級車体であること、加えて老朽化が進んでいることにより、1970年代に廃車が始まります。完全引退は1978年。50年弱の活躍でした。引退後は、14両が香川県の高松琴平電鉄に譲渡されたほか、デハ248号が京急久里浜工場、デハ249号・250号の2両が京急油壺マリンパーク(後に解体)、デハ268号が関水金属(現在はホビーセンターカトー)にて保存。そしてデハ236号も、埼玉県川口市にて保存されることとなりました。

1979年より、川口市青木町公園内の児童文化センターで保存車両としての余生を歩み始めたデハ236。しかしながら、同センターが2002年に閉鎖されると、デハ236号は管理されることがなくなり、荒廃が進んでしまいました。維持管理が難しいと判断した川口市は、デハ236号の無償譲渡先を公募。これに応じたのが、かつての所有者であった京急でした。

青木町公園で保存されていた当時のデハ236。末期はこのように荒廃が進んでいました
青木町公園で保存されていた当時のデハ236。末期はこのように荒廃が進んでいました

2017年5月、デハ236号は約40年を過ごした青木町公園を離れ、総合車両製作所へと陸送。車両の修繕作業を開始しました。

長年過ごした青木町公園から搬出されるデハ236号
長年過ごした青木町公園から搬出されるデハ236号
総合車両製作所に搬入されたデハ236号の車内。各部が激しく傷んでいました。座席は作業のため取り外されています
総合車両製作所に搬入されたデハ236号の車内。各部が激しく傷んでいました。座席は作業のため取り外されています
台車などの一部部品は、京急ファインテック久里浜事業所(当時)に移送。こちらで修復作業が進められました
台車などの一部部品は、京急ファインテック久里浜事業所(当時)に移送。こちらで修復作業が進められました

車体の塗装は剥がれ、車内では天井が剥がれている箇所も。さらに、車両落成時の図面が残されていなかったといい、作業は手探りの状態。しかし、京急OBの手を借りながら、2年をかけて復元作業が進められました。使用可能な部品は修繕したほか、ドアエンジンを始め、一部では廃車発生品などの部品に交換。のべ9800時間を掛けた作業は2019年6月に完了し、現役末期の姿を取り戻しました。

修復作業が完了したデハ236号。ピカピカに塗装され、現役時代の様相を取り戻しました。なお、台車は仮のものを穿いています
修復作業が完了したデハ236号。ピカピカに塗装され、現役時代の様相を取り戻しました。なお、台車は仮のものを穿いています
車内も見違える姿に
車内も見違える姿に

約40年ぶりに横浜へ帰還したデハ236号。今後は、京急ミュージアム内の「京急ヒストリー」コーナーとして、自らが歩んだ京急線の歴史を伝える役目を担います。

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