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貨物線沿線を歩く

かつての貨物駅跡地から軍の専用線まで、高島線の沿線を歩く

2021年5月22日(土) 鉄道コムスタッフ 西中悠基

鉄道の役割において、旅客輸送と並ぶ重要なものが、貨物輸送です。

貨物輸送で使われる線路は、その多くが旅客列車と同じものですが、旅客列車のための線路容量を確保する必要がある大都市周辺や、旅客線から離れた位置へ建設された貨物駅へのアクセス、あるいは工場や港への引き込み線など、貨物列車専用の線路が設けられることもあります。

普段は乗ることはできなくとも、貨物輸送で重要な役割を担う貨物線。今回は、鶴見駅を起点とする東海道本線の貨物支線、通称「高島線」を見ていきます。

日本の大動脈である東海道本線は、東名阪を結ぶ本線に加え、貨物列車用に建設したバイパス線や支線を有します。今回ご紹介する高島線は、この貨物支線の一つ。神奈川県の鶴見駅で東海道本線から分岐し、東海道本線よりも海側のルートを進んで、桜木町駅に至る、延長約8.5キロの路線です。

東海道本線の貨物支線、通称「高島線」
東海道本線の貨物支線、通称「高島線」
高島線の路線図(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
高島線の路線図(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)

現在の高島線のルートが形成されたのは、1917年のこと。それまで、東京方面と横浜港新港埠頭の荷扱所(現在の赤レンガ倉庫付近)を結ぶ貨物列車は、現在の東海道本線のルートを走行していましたが、この高島線の開業によって、鶴見~横浜間の貨客分離が実現しました。

かつては多くの専用線と接続していた高島線

それでは、高島線の沿線を見ていきましょう。

高島線の起点は鶴見駅。ですが、実際に東海道本線と分岐するのは、鶴見駅よりも西に進んだ、京浜急行電鉄生麦駅付近です。高島線の線路は、トンネルを通り横浜羽沢駅方面へ抜ける東海道貨物線から分岐し、東海道本線や京浜東北線などの線路群と離れていきます。

京急線の生麦駅付近にある、東海道本線(東海道貨物線)と高島線の分岐
京急線の生麦駅付近にある、東海道本線(東海道貨物線)と高島線の分岐
奥の東海道本線(旅客線)と別れ、高島線(手前)は海側へと進んでいきます
奥の東海道本線(旅客線)と別れ、高島線(手前)は海側へと進んでいきます

東海道本線と別れた高島線は、国道15号「第一京浜」を「生麦ガード」で乗り越します。ガードの土台にはレンガが見え、歴史ある建築物であることがうかがえます。現在は上空を首都高速神奈川7号横浜北線がまたぐ二重高架となっており、薄暗い印象を受ける場所となっていました。

第一京浜を越える「生麦ガード」
第一京浜を越える「生麦ガード」
看板には「高島線」の文字が
看板には「高島線」の文字が

第一京浜を乗り越した高島線は、さらに海側へと進み、首都高速神奈川1号横羽線の南側を進みます。

首都高速神奈川1号横羽線の横を通る高島線
首都高速神奈川1号横羽線の横を通る高島線

現在は鶴見~桜木町間のバイパス線としての立ち位置となっている高島線ですが、かつては横浜臨港部の工場や倉庫などと接続する路線でした。現在は廃止されてしまいましたが、かつては途中で複数の枝線が分岐しており、これらの貨物輸送を担っていました。

その一つが、廃止された入江駅から分岐していた新興線。高島線から南西側へと分岐し、東へと大きく向きを変え、現在の首都高速生麦ジャンクションよりも南側にあった、新興駅までの間を結んでいました。新興線からはさらにさまざまな専用線が分岐しており、昭和電工や日産自動車などと接続していました。

高島線と新興線の分岐駅であった入江駅は、1985年に廃止。同駅は新興駅と統合されましたが、この新興駅も貨物列車の発着はなくなり、2010年に廃止。現在、かつての入江駅があった場所には、京浜急行バスの営業所が建てられています。

かつての新興線との分岐点であった入江駅付近。駅の跡地は京浜急行バスの営業所になっています
かつての新興線との分岐点であった入江駅付近。駅の跡地は京浜急行バスの営業所になっています

貴重な鉄道遺産の今後は

生麦ガードから先の区間は、線路の横を並行して通る道路がなく、少し離れた道路を歩きつつ、時折現れる線路へ近づく道を進みます。

高島線を横目に歩いていきます
高島線を横目に歩いていきます
時折現れる線路との交差道路から見た高島線
時折現れる線路との交差道路から見た高島線

余談ですが、現在高島線や首都高速神奈川1号線が通る場所は、明治以降に埋め立てられた土地です。かつての海岸線は、現在は東京湾ではなく「子安運河」に面しているものの、明治期のものが残存しています。

この子安周辺は、江戸時代に幕府へと海産物を献納する特権を与えられた「御菜八ケ浦」の一つ。明治以降の工業地帯化によってこの地の漁業は衰退しましたが、現在でも一部ではアナゴなどの漁が行われているということです。

かつての海岸線の面影を残す子安運河
かつての海岸線の面影を残す子安運河

さらに西へと歩いていくと、何やらレンガ積みの橋脚が見えてきました。これは、かつて東神奈川駅と高島線東高島駅を結んだ貨物線の名残です。

東神奈川駅から延びていた貨物線の名残の橋脚
東神奈川駅から延びていた貨物線の名残の橋脚

現在の横浜線を建設した横浜鉄道は、東神奈川駅からさらに海側へ延びる貨物線を計画。現在の瑞穂埠頭付近に、海神奈川駅を建設しました。さらに1917年の高島線鶴見~高島間開業にあわせ、東神奈川~海神奈川間の途中で分岐し、高島駅へ乗り入れる線路を建設。横浜鉄道と高島線の接続を実現しました。

レンガ積みの橋脚は、この東神奈川駅から高島駅へ乗り入れる線路のもの。1959年に廃止されたこの路線の鉄橋は、その後も長年放置されてきましたが、近年橋りょう部が撤去され、現在は橋脚のみが残存しています。

この橋脚の西側には、高島線に現在も唯一残存する途中駅、東高島駅があります。ただし、駅とはいっても、現在は列車の発着はなく、信号場のような扱いです。駅北側にはかつての荷役ホームの上屋が残存していますが、現在このホーム跡を含む駅北側一帯の再開発事業が進められており、将来的にはかつての貨物扱い設備は消滅してしまうようです。

現在は信号場のような雰囲気となっている東高島駅
現在は信号場のような雰囲気となっている東高島駅
今なお残る、東高島駅のかつての荷役ホームの上屋
今なお残る、東高島駅のかつての荷役ホームの上屋

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さて、東高島駅から少し北側へと戻ってみましょう。すると、高島線から海側へと分岐する線路が見えてきます。これは、瑞穂埠頭(横浜ノース・ドック)へ延びる、在日米軍専用線の跡地です。戦前から瑞穂埠頭には鉄道が敷設されていましたが、日本の敗戦によってこの埠頭は連合国に占領され、サンフランシスコ講和条約締結後

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