国鉄などでは、支線を持つ路線は「〇〇本線」と呼称されていました。軸となる路線なので、距離や利用者数も一定の水準にあった訳ですが、そんな本線でも廃止となってしまった例が全国で一例あります。宗谷本線の名寄駅と石北本線の遠軽駅を主に結んでいた名寄本線です。
名寄本線の前身である名寄線が全線開通したのは100年前の1921年。当時の名寄線は名寄~中湧別間でしたが、1923年に支線となる渚滑線が開業したことを受け、本線に格上げされました。1932年には、名寄~遠軽間と中湧別~湧別間からなる名寄本線の最終形となる路線(計143キロ)が誕生しました。
時を同じくして石北線(当時)が全線開通し、道央と網走方面を結ぶメインルートは名寄本線から石北線にシフトしました。こうした影響もあり、名寄本線の業績が悪化。同線は、1980年に制定された国鉄再建法に基づく廃止対象路線の一つに挙げられるなどした後、1989年5月に全線廃止となりました。JR北海道の本線ではその後、留萌本線、日高本線が一部区間を廃止していますが、全線が廃止となった本線はこの名寄本線のみ。実質的な路線の廃止例としても全国唯一です。
名称としての「本線」がなくなった例としては、JR四国の予讃本線、土讃本線、高徳本線、徳島本線があります。1988年6月、それぞれ予讃線、土讃線、高徳線、徳島線に改称され、今日に至ります。
JRの本線で営業距離が短いのを順に挙げると、日高本線(30.5キロ)、留萌本線(50.1キロ)、筑豊本線(66.1キロ)となります。日高本線は、2021年4月の鵡川~様似間(116キロ)の鉄道事業廃止を受けて、一気に最短の路線に。JR北海道管内の路線については、こうした支線を持たない本線の名称の議論を含め、今後の動向が気になるところです。