西武新宿線が「格差」に悩む歴史的な理由

2020年5月2日(土) フォトライター 栗原景

池袋線に差をつけられてしまった新宿線

西武鉄道は、東京都心と所沢・川越・秩父など埼玉県西部の都市を結ぶ大手私鉄です。その基幹となる路線は、池袋〜所沢〜吾野間の池袋線と、西武新宿〜所沢〜本川越間の新宿線。いずれも首都圏西部の大動脈です。

しかし、この2つの路線には大きな格差があります。池袋線は、2015年度までに桜台〜大泉学園間7.6kmの連続立体交差化が完了。練馬〜石神井公園間は複々線で、西武有楽町線を介して東京メトロ副都心線・有楽町線、東急東横線などとも相互直通運転を行っています。特急は、全列車が2019年登場の新型特急「Laview」に置き換えられました。

西武秩父駅に到着した新型特急「Laview」。登場からわずか1年で、池袋線の特急は原則としてすべてLaviewとなりました
西武秩父駅に到着した新型特急「Laview」。登場からわずか1年で、池袋線の特急は原則としてすべてLaviewとなりました

一方、新宿線は、中井〜野方間と東村山駅付近で連続立体交差化の工事が行われているものの、今も全線が踏切のある地上線です。関東の大手私鉄の主要路線としては唯一他社線との相互直通を行っておらず、特急「小江戸」は、今も全列車が1993年登場の「ニューレッドアロー」を使用しています。山手線の駅から所沢へ行くなら池袋線の方が早く、川越へは東武東上線の方が早いなど、主要駅間に限ると立場も微妙です。

西武新宿線(水色)と、競合する西武池袋線(橙)、東武東上線(青)、JR埼京線・川越線(緑)。都心から所沢へは西武新宿線よりも池袋線の方が、川越へは東武東上線の方が早く到達できます(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
西武新宿線(水色)と、競合する西武池袋線(橙)、東武東上線(青)、JR埼京線・川越線(緑)。都心から所沢へは西武新宿線よりも池袋線の方が、川越へは東武東上線の方が早く到達できます(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)

西武新宿線沿線で生まれ育ち、現在も暮らしている筆者(栗原景)は、長年不思議に思っていました。なぜ、新宿線はこうした差をつけられてしまったのでしょうか。それは、明治から平成までの日本の歴史が、新宿線にとって不運に働いてしまったからです。

新宿線のルーツ、川越鉄道は中央線の支線だった

西武新宿線のルーツは、1895(明治28)年に国分寺〜川越(現・本川越)間が全通した川越鉄道です。川越鉄道は、現在のJR中央線の前身である甲武鉄道の経営陣が出資する子会社で、地価の安い東村山を経由して国分寺で甲武鉄道に接続し、新宿から川越までの直通列車が運行されました。

国分寺と東村山を結ぶ西武国分寺線。西武新宿線の基となった路線です
国分寺と東村山を結ぶ西武国分寺線。西武新宿線の基となった路線です

ところが、甲武鉄道は1906(明治39)年に国有化され、1914(大正3)年には東上鉄道(現・東武東上線)が、翌1915(大正4)年には武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開業します。これらの鉄道は中央線と川越鉄道を乗り継ぐよりも、早く所沢や川越へ行くことができました。

劣勢に立たされた川越鉄道は、秘策を講じました。1916(大正5)年、箱根ヶ崎(拝島の北、現在八高線の駅がある町)から東村山、田無を経て吉祥寺までの免許を取得していた村山軽便鉄道から、敷設権を譲り受けたのです。

1920(大正9)年には電化のために電力会社の武蔵水電と合併(武蔵水電が存続会社)、さらに1922(大正11)年には、新宿〜荻窪間の青梅街道で軌道線(路面電車、後の都電杉並線)を運行していた西武軌道を買収しました。西武軌道は、荻窪〜田無間の敷設免許を持っており、これらを組み合わせて、川越〜東村山〜田無〜荻窪〜新宿という直通ルートを完成させようとしたのです。

国分寺~川越間の路線を開業させた川越鉄道(黄緑)。甲武鉄道(橙)と直通していましたが、国有化により直通列車は廃止。西武軌道(赤)を買収し、東村山~田無間(水色)を建設することで、都心への直通ルート構築を目指しました(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
国分寺~川越間の路線を開業させた川越鉄道(黄緑)。甲武鉄道(橙)と直通していましたが、国有化により直通列車は廃止。西武軌道(赤)を買収し、東村山~田無間(水色)を建設することで、都心への直通ルート構築を目指しました(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)

電力業界の再編に翻弄されながら高田馬場へ延伸

そこへ、電力業界再編の波が押し寄せました。当時の日本は、日露戦争や第一次世界大戦を経て電力の普及が進み、全国に多数の電力会社が設立されていました。明治まで、石炭による小規模な火力発電が中心だった電力産業は、大正に入って大規模な水力発電の時代に進み、「電力戦」と呼ばれる価格競争が始まったのです。体力のない電力会社は次々と買収され、昭和初期までに五大電力会社に集約されていきました。

川越鉄道を引き継いだ武蔵水電は、この波に呑み込まれました。西武軌道を買収した同じ年、今度は武蔵水電自体が帝国電灯に吸収合併されてしまったのです。帝国電灯は鉄道会社に興味がなく、武蔵鉄道という別会社を設立して鉄道事業を分離。武蔵鉄道はまもなく西武鉄道に改称しました(現在の西武鉄道とは別の法人なので(旧)西武鉄道とします)。

新たに発足した(旧)西武鉄道は、もう一度東京直通の方策を検討します。青梅街道の軌道を活用すれば、建設費は安く済みますが、速度が遅く武蔵野鉄道(池袋線)や東武東上線には太刀打ちできません。そこで、田無から荻窪へ向かうはずだった路線計画を変更し、直接高田馬場に向かうことにしました。

なおこの軌道線は、1963(昭和38)年に地下鉄荻窪線(丸ノ内線)の開業に伴って廃止されました。もし、(旧)西武鉄道がこの軌道線の活用を選択していたら、今頃青梅街道の地下を西武鉄道の電車が走っていたかもしれません。

1927(昭和2)年4月、東村山〜高田馬場間23.7kmが開業し、(旧)西武鉄道はようやく東京乗り入れを実現しました。ですが、社会情勢に振り回された結果、高田馬場〜所沢間は26.9km、川越(本川越)までは45.3kmと、武蔵野鉄道(池袋〜所沢間24.8km)や東武東上線(池袋〜川越市間31.4km)よりも遠回りになってしまいました。

念願の都心直通を果たした(旧)西武鉄道は、次に高田馬場から早稲田までの免許を取得して、山手線内への乗り入れを目指します。当時、東京市が池袋〜大手町〜州崎(東陽町)間に地下鉄道を建設する構想があり、これとの接続を目指していたと言われています。

この構想は、繁華街として大発展を遂げた新宿乗り入れにまもなく変更されたものの、山手線が競合する鉄道省(国鉄)が難色を示し断念します。新宿乗り入れ構想は、戦後復活して1952(昭和27)年11月に高田馬場〜西武新宿間が開業しましたが、国鉄新宿駅乗り入れは用地不足などの問題から、ついに実現することはありませんでした。西武新宿駅は新宿駅の北400mに位置し、他社線との相互乗り入れも厳しくなりました。

JR線などの新宿駅より離れた位置に設置されている西武新宿駅
JR線などの新宿駅より離れた位置に設置されている西武新宿駅
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新宿線の抜本的改善を阻んだバブル崩壊

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