琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線の愛称がある京阪神エリアの東海道・山陽本線などでは、快速系の列車として「新快速」が運転されています。最高時速130キロという特急と同じスピードで走り、停車駅も少なめ。京阪神エリアにおけるJR線の看板列車の一つです。

そんな新快速の運転が始まったのは、1970年に開催された大阪万博がきっかけでした。
大阪万博の開催時、当時の国鉄は、会場アクセス用にさまざまな臨時列車を運転していました。その一つが快速「万博号」。東海道・山陽本線の河瀬~茨木間、茨木~姫路間を走る列車でした。
この列車に使用されていたのは、当時の標準的な直流近郊型電車である113系。ただし、塗装は関西圏で一般的だった「湘南色」ではなく、横須賀線で見られた「スカ色」でした。これは、万博輸送用の車両増強として、横須賀線からスカ色の113系を転属させたため。この関西では珍しい塗装の車両は、万博閉幕後もそのまま残されました。

このスカ色の車両は、万博が終了すると、転属した目的だった「万博号」の運転がなくなり、運用が消滅してしまいます。そこで国鉄は、この車両を活用して、1970年10月に新快速の運転を開始しました。
ただし、113系が主力の期間は長くなく、運転開始から2年後の1972年、山陽新幹線新大阪~岡山間開業で急行用車両の153系に余裕が出ると、同形式が2代目新快速用車両として投入されています。この際、153系は灰色に水色帯の塗装となり、「ブルーライナー」の愛称がつけられました。

ブルーライナー登場から7年後の1979年には、新快速用の新形式として117系が登場。首都圏の特急型電車である185系と同様に転換クロスシートを搭載しながらも、運賃のみで乗車できる列車向けという、国鉄としてはかなり豪勢な車両でした。京阪神間では、戦前から並走する私鉄との競合が激しく、国鉄(特に大阪地区を管轄する支社相当の組織)も力を入れていたようです。117系は翌1980年にデビューし、同年中に新快速の153系を置き換えました。

その後の新快速では、1989年に221系、1995年に223系1000番台、2010年に225系が、それぞれ投入されてきました。現在の新快速では、223系1000・2000番台、225系0・100番台の2形式4グループが使われており、これらは基本的に新快速を含むJR京都・神戸線系統用として新製投入された車両です。1970年に他地区からの転属車両の転用で始まった新快速は、運転開始55周年の節目、そして大阪で2度目の万博が開催される2025年を、京阪神間を結ぶ主力列車の一つという立ち位置まで進化した状態で迎えたこととなります。
