103系といえば、国鉄通勤型車両の代表形式の一つです。1963年に登場した103系は、3447両が製造され、高度経済成長期以降の通勤ラッシュを支えてきました。

山手線や大阪環状線など、首都圏・関西圏の活躍のイメージが強い103系ですが、実はその他のエリアにも投入されていました。
首都圏・関西圏以外に投入されたグループで今でも現役なのが、JR九州の103系。福岡市営地下鉄への直通運転に対応した1500番台で、現在も筑肥線・唐津線の筑前前原~西唐津間で使用されています。103系の一員ではあるのですが、先頭部は1500番台オリジナルの貫通型で、車体設計自体も201系をベースとしていたりと、103系としては異色のです。

三大都市圏の一つである中京圏でも、103系が使用されていました。1977年に首都圏から転属したのが始まりで、当初の塗装は京浜東北線と同じスカイブルー。混雑が激しかったという中央本線に投入されました。JR東海発足後は、白地に湘南色の帯という塗装に塗り替えられ、関西本線にも投入されたのですが、313系への置き換えにより、1999年に運用を終了しています。
中国地方でも103系が投入されていたことがありました。関西圏から岡山エリア、広島・下関エリアに転配されたグループで、115系の置き換えを目的としての投入でした。山陽本線のほか、宇野線、呉線、可部線で使用され、広島エリアでは呉線の快速「安芸路ライナー」に使われていたことも。また、各エリア独自の塗装も施されており、たとえば広島エリアの103系は、当初はクリーム字に青帯の「瀬戸内色」、後に濃黄色の「地域色」となっていました。2015年に227系によって広島エリアの車両が置き換えられたのを最後に、中国エリアの103系は運用を終了しています。

「杜の都」仙台と港町の石巻を結ぶ仙石線では、2009年まで103系が使われていました。この路線では、国鉄時代に103系が投入されていましたが、2002年以降に山手線などから転属した205系が投入され、2004年に103系は一度運用を終了していました。しかし、多賀城駅付近の高架化工事にともなう所要編成数増加のため、103系1本が2007年に復活。2009年に他区所から205系1本が再度転入するまで、JR東日本最後の103系として活躍していました。

他にも、走ったというだけであれば、北海道へと回送された103系がありました。1998年に札幌の苗穂工場へ向かう姿が目撃されたのですが、その用途は明かされず不明。車両には手が加えられていたことから、衝突実験に用いられたものと思われます。
そして、103系の中には、海を渡ったものも存在しました。武蔵野線で運用を終えた103系の一部が、2004年にインドネシアの鉄道会社へ譲渡され、ジャカルタ都市圏での営業運転を開始したのです。日本の中古車両としては、2000年に譲渡された都営地下鉄6000形(元三田線車両)に続くものでした。国外に譲渡された103系は、今なお日本で活躍する103系よりも先に、2016年に引退しています。
なお、2025年現在も103系の定期運用が残る路線は、先述したJR九州の筑肥線と、JR西日本の播但線、加古川線の3路線のみ。いずれの車両も1963年デビュー時の姿とは異なるグループですが、103系自体が風前の灯火となっている中、今も現役で走る貴重な存在となっています。

