武蔵宮さんのブログ
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尾久駅横の着発線に移動したスロフ14-701。登場時は目新しさから様々な電気機関車に引かれて各地を巡り歩いた、記憶とともに色あせてしまった車体。
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国鉄末期になると雑多な旧型客車の淘汰に伴って、臨時用12系・臨時特急用14系客車が長距離夜行列車でも使われ始めましたが、他の多くは余剰に。それらを活用して国鉄イメージアップでイベント車への改造がブーム...
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民営化後に高崎駅発着の臨時用になったスハフ12-161。国鉄時代に所属していた尾久客車区へやってきた夕暮れ時。10系軽量客車・20系寝台車に続いて1969年から製造が始まった12系。軽量客車よりも重厚に改められた...
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もう動かない、ゲートの中に残る踏切。工場に張り巡らされていた専用線の記憶。
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途切れ途切れの線路は日立の工場へ。重い機関車が出てきたとは思えないほど、今は劣化してしまった鉄路。
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常磐線の脇で眠る線路。専用線の引上線と勝田駅からの線路が合流して日立の工場へ分かれていましたが、今は途切れた状態。新品の機関車が最初に通っていた、旅立ちの駅。
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電化区間の交直切り替えと周囲に非電化が混在する常磐線の地域性から、DE10と交直両用EF81が待機している水戸駅。今はもう貨物用の交流電気機関車ED75が来なくなった交流区間。
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電車の非電化区間乗り入れ用電源車に改造されていた荷物車マニ50-2186。大量の客車と貨車が並んでいた水戸客貨車区は街へと変わり、残ったのは国鉄時代から引き継がれた一両の客車。今は新天地へと移り、鉄道の街...
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水戸駅で休むDE10-1603。駅の南に広がっていた巨大な水戸客貨車区と水戸機関区は姿を消し、常磐線と転車台の間にあった線路が機留線として残りました。
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団地が並び始めた1970年代にはほとんど荒野だった京葉線沿線。遠く地平線を望みながら。
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貨物列車は都市へと変わった千葉みなと駅へ。千葉貨物ターミナル駅の入口だったのは昔の話。
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港と団地に挟まれた高架橋の貨物列車。最も京葉線らしい一コマ。
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京葉線を走る貨物列車。湾岸経路での東京貨物ターミナル駅連絡は果たせず、武蔵野線と繋がって以降も貨物列車の運行開始に時間を要しました。
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千葉貨物ターミナル駅の南側に広がる工業地帯。食品関係が多いのが特徴で、中央の白い共同サイロやその向こうにある千葉製粉へ線路が繋がっていましたが、京葉線開業が遅かったため、利用期間は短かったようです。
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武蔵野線経由でやってきた貨物列車。水色の建屋から手前が千葉貨物ターミナル駅のコンテナホームだった場所ですが、貨物駅の跡はほとんど残っていません。
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港の雰囲気は変わったものの、街並みは意外と変わっていない蘇我駅周辺。湾岸を工業地帯で塞がれていたため、住宅地が古くから内陸側を埋め尽くしていました。
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千葉みなと駅の北に残る高架橋。本来は左に広がっていた千葉貨物ターミナル駅へ向こうの東京側から入る下り貨物列車を跨ぐ上り線として造られましたが、京葉線建設の遅れで貨物列車は蘇我駅経由のみ。そのまま千...
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京葉線の高架橋に残る分岐点。京葉線は最初に蘇我駅から6km北西の千葉貨物ターミナル駅のみ1975年に開業し、蘇我駅への高架橋が未着工だったので川崎製鉄の専用線を経由していました。川崎製鉄の再開発で連絡線は...
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蘇我駅から分かれていく廃線跡。川崎製鉄の専用線は工場や製鉄所に張り巡らされていた他、市街地で未建設だった京葉線の高架橋とも接続していました。
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蘇我駅の南、内房線沿いにある小さな機関区。非電化時代の名残だった転車台は国鉄末期に撤去され、今は武蔵野線を大回りしてきた電気機関車のねぐらに。
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「SL人吉」用50系客車による臨時快速列車が、ゴールデンウィークに久留米~由布院間で運転。
「リアル桃鉄」ふたたび。今回は東武と近鉄の2社で開催。フリーきっぷも登場。
阪神なんば線開業15周年と、阪神・近鉄直通15周年を記念して、ロゴ掲出車両が運転。阪神は副標掲出も。
E653系4両編成1本が「上沼垂色」に。4月21日以降、「いなほ」「しらゆき」で運転。
速いスピードで駆け抜ける新幹線。撮影のコツを、鉄道カメラマンの助川さんが解説します。
ダイヤ改正の3月到来。鉄道旅行や撮影の計画は、鉄道コムのイベント情報で。